ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

第4章 各宗教が目指した本質 (宗教概念の共通項)

4章 各宗教が目指した本質

 

(宗教概念の共通項)

 仏教に限らず多くの宗教の教義はあいまいで矛盾をはらむものか反証不能性が高いものが多い。悟り、解脱、空即是色、色即是空、三位一体、梵我一如、神の存在、神の救済……などその典型であろう。これらの言葉はわかったようでわからない。またおそらくは本当の意味で理解している人間はほとんどいないであろう。これらは論理的には矛盾した概念であるからだ。矛盾であれば反証不能性は高くなりやすい。それゆえに宗教の教義として利用されてきたのも事実であろう。否定ができなければそこに信仰(暗示)を加えれば、プラシーボ効果(偽薬効果)が生まれ、本来は不確かなはずの教義が力を持ち始めるからだ。さらに教祖自身のカリスマ能力や超人的な能力や魅力が加わることで教団の権力と求心力はさらに高まっていく。教義の根幹があいまいなままに、である。となれば、結局、全ての教義はでっち上げか創作の類の概念なのだろうか?

 確かにそうした現象は多いだろう。人の欲望と不安につけこみ煽ることで金品や一定の行動を要求する行為の多くがそれだ。除霊、祈祷、占い、超能力、オカルト、疑似科学の類である。その中には例外的にそうした言説の形を取りつつも、プラシーボ効果以上の効果を発揮する事例もあるのかもしれない。行為者が現象の本質を解明できずに、既存の伝統的な説明を用いてしまう場合がそれだ。しかしそれは通常の常識と論理では真偽が判定できず、また実在したとしてもそれは極めて少数の例外であろう。またカルト宗教や新興宗教もそうした原理に依るものが多い。そしてやや極論であるかもしれないがイデオロギーや制度もまた宗教的であり、現代に住む我々が当然視する自由経済制や民主制にも言えるだろう。なぜなら「自由経済制度が人々の発展と幸福に最も寄与する」とか「多くの人々の賛同を得られた決定(すなわち多数決)が個人の独断よりも確かで優れ、未来を保証している」という言説は結局のところ神話にすぎず、それらに対する信仰が支えているにすぎないからだ。今でこそ天動説や王権神授説は一笑に付されるものだが、我々が絶対視してやまないものも未来人から見れば誤りを含むものかもしれないのだ。それが時間の中に存在して生きるということなのだから。

 話がややわき道に逸れたので本題に戻そう。

 最初に述べたように宗教概念は曖昧で矛盾に満ちている。これらは相矛盾する概念であるため、論理的に考えれば単純に切って捨てることができるだろう。だが、本当にその全てが偽りなのだろうか? 

 たとえば物理法則に支配された原子の集合体であるはずの人間に心や自由意思が宿るというのは矛盾極まる現象である。では我々の存在や自我の認識は偽りなのだろうか? おそらくは相矛盾する現象があり得ないのではなくて、それを表現する言語側に問題があるにすぎない。将来的には言語機能不全を克服できる何らかの記述・表現システムが新たに必要となるだろう。また懐疑主義の立場に立てば、現象も認識も全てが偽りだとすることもできるが、ここでは私はその立場は取らない。相矛盾する現象は併存できるという立場を取りたい。であれば、見えてくるものがあるのである。