ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

副鼻腔理想解放状態の主観的感覚とそれに対応すると思われる仏教概念

(副鼻腔理想解放状態の主観的感覚とそれに対応すると思われる仏教概念)

 このあたりの経験談とも言える概念は主に禅宗に残されている。それは突然に悟りが訪れるという頓悟と、悟りは徐々に進むという漸悟、また悟りの後の修行が大事という悟後の修行や、悟りのレベルや段階を示す不覚、始覚や本覚、十牛図などである。

 こうした論点での議論は長年されてきたのだが結論を言えばどちらも正しい。まさしく悟りは突然来るものでもあり、徐々に進むものでもあるからだ。順を追って語ろう。

 通常、人の副鼻腔、特に前頭洞、篩骨洞、蝶形骨洞あたりは非常に狭く複雑であり、通常は閉じた状態にあると推測される。これが何らかの要因で常に通るようになり、副鼻腔内の空気圧が調整され、その結果望ましい形で圧迫されていた神経が解放・もしくは刺激されるようになる。これが始覚という現象であり、そのまま一気に安定化するのが頓悟であると思われる。

 身体感覚としては額、眉間、前頭部が涼しく、清涼となり、冴えをもたらし、外気が通り続けることも特徴である。おそらくは常に空気が流れこみ、その気化熱でそうした感覚を生じさせると思われる。ただ通常、各副鼻腔の出入り口は細かい蜂の巣のような形の篩骨洞を除けば、各洞の出入り口は1つずつのはずで、呼吸のたびに出入りするのならまだしも空気が流れ続けるということは考えにくい。であれば、たとえば副鼻腔に通常とは別の穴ができそれらが理想的な形で連結することでそうした構造を獲得するのかもしれない。もちろん実際の物理的変化がどのようなものであるかは不明であるので客観的な方法での調査は必須であろう。

 そして初めてそうした副鼻腔の形態変化を実感するのが始覚であろう。ここから大別して2パターンがあり、この副鼻腔の状態をそのまま維持できるパターンが頓悟であり、いったん元に戻りつつも再び副鼻腔が解放されるという状態を繰り返してやがて安定維持するようになるのが漸悟であると推測される。そしてまたその安定した状況を本覚と呼ぶのであり、また始覚にいたる前段階を不覚としたのであろう。

 また類似の段階を説明するものに十牛図がある。ここでの牛は悟りをわかりやすくモデル化(模型化、シンボル化)したものであり、それを求める人はまさに悟りを求める人であろう。当初は牛(悟り)を探していた者が、やがて牛(悟り)を見つけ、そして徐々に自分のものにしていき、最後には牛(悟り)も人も消えてしまうというのは悟りの階梯を示しているのであろう。副鼻腔理想解放状態の観点で十牛図を考えれば、それは通常の鼻性脳神経症候群の状態から副鼻腔理想解放状態へと至るプロセスが記載されていると推測できるのである。(なお旧来の説明では牛が真の自己や本当の自分自信に関するものと説明されている。また本覚に対する説明も異なっている。だがこれはおそらく残された教えを誤解してしまったり、誤訳の結果であろう。長い年月を経て地域や言語が異なれば悟りの本質が伝えきれなかったのは致し方ないことであろう。)

 筆者の経験上、たとえ一時的にしろ副鼻腔の理想的な意味での状態変化(始覚)が起きたとしても、そもそもが副鼻腔の形態そのものが大きく変化するわけではない。副鼻腔の物理的な変化は極めて微弱なものである以上は元の状態に戻りやすいと考えられる。特に睡眠、入浴、気圧、アレルギー、ストレス、食事などの影響は少なくない。しかしだからと言ってそれらを完全にコントロールしたからと言って副鼻腔の構造自体がほとんど同じである以上、空気圧の影響からか、通常の芳しくない状態(それはいわゆる不覚と呼ばれるものだろうし、前述した弱い鼻性脳神経症候群であろう)で維持安定しやすい。そうした状況に生まれ一生を送らざるを得ない生物学的な特徴が人にはあるのだろう。それを改善し、その状態を維持し続けることをなんとかして行おうという試みが仏教の多様な試みであったと思われる。

 論理的にははじめから理想的な意味で副鼻腔が解放されている人も存在したとは思われるのだが、それは例外中の例外の事例であろう。というのは、副鼻腔の構造は遺伝要素と後天要素があり、12才から18才程度の思春期にその形が成長し完成するからである。精神病の好発年齢がこの年代と一致していることは、これもまたおそらくの話になってしまうが、副鼻腔の成長と形態変化が付近の脳神経を圧迫、破壊してしまうことで精神病を発病させる可能性があると考えている。また才能あふれる天才児が「二十歳すぎればただの人」となる現象も副鼻腔の形態変化とその付近への脳神経の影響がなんらかの影響を与えているケースがあると思われる。そしていわゆる成人以降もこうした能力が持続する天才はこの思春期の副鼻腔変化による脳神経の悪影響を問題なく乗り切れた人物とも言えるだろう。ただでさえ才能がある人物が生まれるのはまれで、それが維持されるケースはさらにまれである。そうした事実から考えてもそうした無為自然にまかせて副鼻腔の形態変化による悪影響をクリアできる人物はやはり奇跡的という形容がなされるほどの低い確率になるのであろう。

 また逆に、何らかの要因でそうした好ましくない状態の副鼻腔の状況(鼻性脳神経症候群の状態)が突如改善され、その生涯にわたって維持されることがあったのであろう。それが悟りという現象だったのだろうし、その頂点がブッダであり、キリストであり、ムハンマドなどであったのだと思われる。もちろんそれは彼らの遺伝的才能や資質、努力や環境という後天要因に加えて、かなり運の要素が強かったとは思われる。また、それぞれが持つ背景や能力、そして何より副鼻腔領域の脳神経改善のあり方(第6、第7チャクラや上丹田の通り方、副鼻腔理想解放状態)に相当のバリエーションはあったのだと思われる。であるからこそ彼らの思想や教義、実際の言動や業績に大きなバリエーションを生んだのだと思われる。