ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

悟りの段階1 悟りのレベル、バリエーションに関する用語。十牛図、頓悟と漸悟、不覚、始覚、本覚、不退転、退転

(悟りの段階1 悟りのレベル、バリエーションに関する用語。十牛図、頓悟と漸悟、不覚、始覚、本覚、不退転、退転)

 初期仏教から大幅な変遷と分派を遂げてきた仏教だが、それでも同時に悟りに達した者がゼロでなかったことも確かなようである。その証拠としてあげられるのが釈迦の死語に作られた教典群であろう。そこには悟りの境地をモデル化した用語を散見することができるからだ。例を挙げれば、色即是空、空即是色をはじめとして頓悟、漸悟、悟後の修行、十牛図、不覚、始覚、正覚、退転、不退転などであろう。こうした概念や用語は初期仏教の段階ではなかったものある。そしてこれらは人々に悟りの概念を伝えるものであると同時にいわば確認のための検算のようなもので、悟りに近づく一線(それはいわゆる始覚と呼ばれる段階と思われるが)を越えることができた者には自分のことのように理解できる性質があるのである。

 もちろんこれらは知識としてそらんじても伝承という役割を除けば、ほぼ無意味である。まずは始覚の段階を越えて自らの実感として理解できることが重要となる。悟りを目指す者にとっては全く概念や用語がない状態よりは有意義であることは間違いない。ただしそうした用語や概念を理解できる者は始覚以上の段階に入った者だけにしか理解できないという矛盾的な状況は大きな課題ではあった。

 また経典の編纂、翻訳、伝播の過程で用語の解釈に誤りが出たとも推測される。ただ言語学や文献学が不十分であった時代で、教典絶対主義の状況や一方で密教のように完全にブラックボックス化してしまう状況、何より翻訳者や注釈者が悟りの領域に達していないケースが少なくなかっと推測されるのだから誤訳や解釈に誤りが出たまま修正されなかった歴史を責めるのは酷というものだろう。