ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

仏像の意図はチャクラや丹田、軸を視覚的に伝えること

(仏像の意図はチャクラや丹田、軸を視覚的に伝えること)

 もちろん座禅は曹洞宗のただ座ることのみで悟りを開こうという只管打坐の教義のように、気や丹田、チャクラ、軸などを直接的にターゲットにすることはない。が、仏像を見れば分かるように下腹部、胸、額、後光などように気やチャクラが視覚的に表現されてきたことを見れば、修行者たちからはチャクラや丹田が悟りと関係があると考えられていたことは疑いようがない。そのため仏像というのは悟りの状態を視覚的にモデル化したものであると思われる。仏像そのものが信仰の対象となり、美術的価値を持つようになったことは周知の事実ではあるが、それは派生的なことにすぎないと考えられる。その試みがどの程度成功したかと言えば残念ながら成功したとは言い難いものの、仏像が作られた初期の意図としては視覚情報として伝え残しておきたい情報があったと推測するほうが妥当であろう。おそらくは当初の作成者の意図はただの偶像崇拝を行うだけのものではなかったと推察される。

 いずれにしても伝統的な仏教修行者は経典の学習と並行して丹田、チャクラ、軸などの修行をある時は顕在的に、またある時は潜在的に行っていたのは確かであろう。そして「こうした東洋的修行法で悟りが得られるのか?」という疑問は浮かび上がってくるのである。