ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

上丹田、第6、第7チャクラとは何か?

(上丹田、第6、第7チャクラとは何か?)

 一方、これも実に多くの論考がなされてきたのが「チャクラとは何か?」「上丹田とは何か?」という問いであった。多くの場合、その答えはそれが脳の一部、たとえば松果体など脳の一部の器官が該当すると言われてきたのだがその論拠そのものは乏しく、科学的な裏付けがあったわけではない。また中丹田(胸や鳩尾のチャクラ)や下丹田(下腹部のチャクラ)についても同様で解剖学的には該当する器官はない。これらの概念は伝統的に受け継がれてきた伝承であって誰も確認できない曖昧なものであることに変わりがない。またこれらの概念も悟りと同じく、それらを得た者だけが理解できるという説明がなされてきたのは奇妙な一致を見せている。

 

 ◆追記

  このページにアクセスが集中することをみると、端的に「上丹田や第6チャクラ、第7チャクラとは何か?」と知りたい方が多いのだろう。

  短く説明すれば、丹田やチャクラとは一定の肉体の物理的状態に対して、その感覚情報が主に脳神経系で処理、統合されて生成された感覚や意識のそれぞれの呼称である。

 そして第6チャクラは主に副鼻腔に関する神経系の意識が理想的な意味で活性化している状態であり、第7チャクラは三叉神経の第一枝である眼神経や前頭神経など理想的な意味で活性化している状態であり、その両方を一つの総体として捉えた概念が上丹田と呼ばれるようになったと推測される。

  そもそも上丹田は主に中国や日本に伝わる概念であり、チャクラはインドに伝わる概念である。おそらくは中国や日本では前頭部全般の感覚・意識として捉えられ、一方でインドではより厳密に区別、認識されてきたものと考えられる。名称や厳密さは異なるためそのヴァリエーションはあるものの基本的には同じ現象や機能を担うと考えて良いだろう。(たとえて言えば、それは太ももとスネはどちらも足の一部である、という関係に似ている。こうした問題は名称の差異にすぎず矛盾はしていない。であるから、どぢらかが誤りでどちらかが正しいというわけではないのである)

 

 だがここで注意しておきたいのは、単純に該当部分を意識するたぐいの努力はあまり意味をなさないどころかかえって害悪であることが多いことは指摘しておかねばなるまい。たとえばあなたは意識的に特定の部位の神経を活性化できるだろうか? それが極めて難しいことはすぐに分かると思うし、経験からも知っているはずだ。その点については他の項目も参照していただければわかるかと思う。

 三叉神経などの脳神経は分類的には末梢神経であることから、後天的な作用である程度は変化しうることは推察される。従来の定説ではそういった変化はあったとしても僅かで乏しいものとして捉えられてきたが最近の研究では必ずしもそうではない事例も報告されている。ただし、そこには個体差、個人差が大きいようだ。そうした現象からは、丹田やチャクラを獲得できた者の成功者バイアスやトレーニング至上主義、修行主義が形成されやすい土壌があるのかもしれない