ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

各地に残るウロボロスの伝承と龍退治とゼロの意味

(各地に残るウロボロスの伝承と龍退治とゼロの意味)

 自らの尾を食べる蛇はウロボロスと呼ばれ、それに類する図は世界各地で伝えられてきた。そしてウロボロスの名の由来は古代ギリシャ語で「尾を飲み込む蛇」を意味する「ドラコーン・ウーロボロス」から転じたものとされる。またこのドラコーンという語は後のドラゴン(龍、竜)の語源になったと言われている。一方、世界各地の神話や伝承には龍退治の伝説が残っている。そこでは様々な解釈があるが、一般論としてはドラゴンは悪の象徴であり、それを英雄が倒すことで秩序や平和がもたらされるというものだ。神話や伝承ではドラゴンは翼を持つ怪物や架空の生物、何らかの実体として考えられてきたが、認知のウロボロス的限界という考察からは別の視点をもたらす。

 ドラゴンを倒す(龍を倒す)という意味は実体としての何らかの怪物やモンスターを倒すという意味ではない。その本当の意味は「無」とは別にウロボロスが持つもうひとつの象徴的な意味にある。既に何度か説明してきたが、ウロボロスの図が意味するのは主体の根幹を破壊することでなそうとする行為はその自己破壊性ゆえに成立できない、というものだ。それはまた主体の限界も象徴していると考えられる。

 そこからドラゴン(ウロボロス)を倒すということは主体の限界を超えるという象徴的意味が付加されたのだろう。そしてここでいう主体の限界を超えるとは、個や我の最適化や最大化という概念を超えることを意味したと考えらえる。ウロボロス的限界の範囲内で生きることは、個や我の最適化を意味しており、それは端的に言えば我欲、利得、勝利の追及である。別の言い方をすれば弱肉強食の世界の中で勝者を目指し、勝つことにのみ意味と価値を見出す勝利至上主義、生残至上主義、また生産性や生殖性の高さを追求する論理でもある。力、金、権力、交友関係、身体や知的能力、美醜、地位、名誉、etc、の質と量が優れている方がそうでないよりも価値があるという価値観である。それがウロボロスの論理であり、悪とみなしたからこそドラゴン(ウロボロス)は悪の象徴となり、それを倒し超越することに意味を見出したのだと考えられるのである。

 それだけで必ずしも完全無欠の人間になるわけではないことは強調しておかなければならないが、認知のウロボロス的限界を超え始めた者は、比較して精神性の高い言動を生み始める傾向があると思われる。そうした高い精神性を伴った言動や生き方は人類普遍の価値があるものと考えられたゆえに世界各地で龍退治の伝承が残されたと考えられる。そして認知のウロボロス的限界を打ち破ることが悟りであり、人の生きる意義や目的であると我々に伝えたかったのかもしれない。

 またおそらく数字のゼロ(0)がなぜ円で表現されるかと言えば、無を表現したウロボロスの図がより単純化し、記号化したものであると考えられる。