ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

認知のウロボロス的限界の例外

(認知のウロボロス的限界の例外)

 ただ一方でその限界は原則であって例外は存在する。こうした認知のウロボロス的限界と例外を最も身近な例で言えば、基本的には「自らの姿は自ら見ることはできない」というものだ。またそれに対して鏡を使うなどの例外ケースは容易に想像できるだろう。もちろんここで言う鏡は単なるメタファーにすぎない。そして同様に主体がその根源を認識することは原則としてはできない。が、例外的に主体である自己の限界を超えて自己とそれに連なる世界の根源を認識できたケースが悟りや啓示などの現象であったと考えられる。

 どのような主体であれ基本的にはある程度の一貫性や論理性を維持しているものだ。しかし主体を超えた認知が起きた場合、主体の根幹である論理性やそれを基にした言語機能性を超えてしまう。たとえば自己と他者を隔てるのはそれぞれの自我の意識や感覚だが、その感覚の境界がなくなり共有化されれば、「私はあなた」で「あなたは私」、「私は我々」で「我々は私」、「私は宇宙(神)」で「宇宙(神)は私」、「私は始まりであり終わりである」、etc、……という類の認識や言説が生まれてしまうことになる。その結果として論理の飛躍や矛盾した表現につながると思われる。こうした例外的に個や我と言った主体を超えた認知のありかたの一つが悟りや啓示であったのだろう。