ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

初期仏教

(初期仏教)

 初期仏教の解く教義(言語モデル)は基本的にシンプルである。四諦、八正道、三学、十二縁起などである。そして最も重要なのはそうした世界把握、行動指針、実際の言動をもたらす悟りと呼ばれる身体性の意識や感覚である。

 問題となるのはそうした意識や感覚をいかにして獲得するのかとなるのだが、それは八正道や瞑想、座禅などの身体修行であったし、直接的な言及はなかったものの一方ではチャクラや丹田の開発であったと考えられる。それらの修行法の効果がどれほどのものだったかという評価になればやはりそれは前述のとおり芳しいものではなかったと推測される。悟りを得た当初の釈迦が悟りを伝えることは無理だと断念した逸話が残っているが、これは確かに非常に説明しにくい現象であったと推測される。その説明のしづらさは悟りという現象が言語機能不全や認知を行う主体のウロボロス的限界によるものであることは2章で既に述べた。

 個人的な経験の話になるが、副鼻腔理想解放状態は骨格や臓器など器質的にはほとんど変化がないままに意識や感覚だけが別種のものに変わるのだがこの性質は厳密には波がある。しかもスイッチが入るようにデジットにオン・オフとなるわけではなく、その日その日で調子が異なり、しかもそれを個人が制御できるわけではなく、状態が維持できるかどうかはほとんどその時々の運に左右される。加えて通常は学業や労働があるため内省的に分析をする時間は限られてくる。そうした多忙な状況は風邪のように明らかな体調不良ではないため問題はひとまず保留されてやがては埋没しやすい。

 より生活環境が厳しく科学技術が全くなかったと言っていい2500年前の環境ではなおさらだろう。解剖学など医学的知識は全くなく、かろうじてチャクラなどの東洋的な概念のみがあった時代なのだ。チャクラや丹田21世紀の現代においてもそれはまだ計測機器に検知されない現象で、個人の主観や演繹的な推論で考察するしかない。そして現時点では悟りもまた推論や仮説に止まるのは致し方ないことではあろう。ただ釈迦の場合はまれな中でも極めてまれに副鼻腔理想解放状態への移行がスムーズで安定的だったのだろう。それゆえに自らの悟りの意識や感覚をなんとかして伝えようとして残ったのが初期仏教であったのだと推測される。