ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

半眼の意味

(半眼の意味)

 仏像は半眼に描かれることが多いのだが、また座禅や瞑想時にも半眼であることが勧められることもある。これには様々な理由がなされてはいるのだが、それは実際の見地で言えば、半眼にすることで副鼻腔理想解放状態に比較的なりやすいためと思われる。副鼻腔理想解放状態では前頭洞や篩骨洞や蝶形骨洞に空気が流入するのだが、その状態を維持しやすいのが半眼であるため自然と半眼になりやすいのである。

 また悪い状態へ陥ることを防ぐ働きもある。特に額や眉間の中がムズムズとするとき、反射的に鼻をすするようにして副鼻腔内の空気を吸いだしてしまい、その結果、狭い副鼻腔の自然孔が閉じてしまいその圧力差で苦しむようになることを半眼にすることで防ぎやすいのである。この動作は唾液を飲み込むような些細な動作なのでクセになりやすく、相当意識していないと無意識に行ってしまう動作である。そのため悪い状態に陥りやすく、しかもそのことに気づかないのである。眉間や額の中がむずむずした場合、反射的に鼻をすすりたくなるのだが、それを極力抑え待つことに役立つのが半眼でいることなのである。基本時には額や眉間、前頭部がムズムズ、ピリピリとした違和感を感じた時はできるだけ力まず自然に任せることが実は正解と思われる。

 逆に目を見開いていたり、長時間パソコンのモニターを見るような目を酷使する状態だと副鼻腔理想解放状態が崩れ、閉塞しやすいのである。いわゆる退転である。これはおそらく目の筋肉の動きや位置が関係していると思われる。ただし、あくまでこれは傾向の話でもある。目を見開こうが何をしようが副鼻腔理想解放状態が維持できるときは維持できるし、そうした恒常的に維持できる方向こそが望ましい。逆に言えば安静な状態や半眼にしなければ副鼻腔理想解放状態に移行できないレベルでは何かのきっかけですぐに閉塞してしまうとは言えるだろう。そして寝ても覚めても何をしても副鼻腔理想解放状態を維持できる段階を正覚や不退転と呼んだのであろう。