ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

チャクラが開く、上丹田が形成されるという現象の誤解と真実

 

(チャクラが開く、上丹田が形成されるという現象の誤解と真実)

 もう一つ決定的に誤りがあったのは、体の特定の部分に精神や意識を集中するというアプローチである。副鼻腔理想解放状態の時には特有の意識や感覚が生まれることは確かであるが、それは物理的に副鼻腔が変化しているからこそそうした意識や感覚が生まれるのである。「気をチャクラにためる」、「気を丹田に集める」という類の能動的な意識操作は実は上丹田や第6、第7チャクラの開発には禁忌なのである。

 伝統的修行法の決定的な誤りは特定の部位に意識を集中することでやがてチャクラや丹田が開発されるという考え方、修行法であったと思う。たとえを出せば、当初は一面の草原であったところを人が行き来を繰り返すことで自然と道ができるように、である。それはイメージで言えば、散漫であった意識を体の特定の部位に集中させ、その状態を継続させる。時には呼吸法や気感(気の感覚)を併用して意識の集中を行う修行法も多い。そうした方法は比較的新しいもので言えば自律訓練法などにも導入されている。手足が重く感じるとか、頭が涼しいと自分自身に言い聞かせる方法はその典型例であるし、また上虚下実や頭寒足熱という各種の類似概念もまたその一例だろう。いずれにしてもそれらの言葉は身体の一部(伝統的には丹田7つのチャクラ、軸など)に特定の意識を集中させるための補助装置であった。だが、現時点では少なくとも上丹田や第6、第7チャクラに関してではあるものの、そうしたアプローチは間違っていたことを私は偶然ながら知ることになったのである。

 重要な点と思われるので表にまとめると次の関係になる。

表 意識の集中や自覚に関する誤解

誤解

体の一部分に意識を集中し、その状態を維持する。
(特に能動的意識が主になる)

真実

体の一部分が物理的に変化し、そのことで通常とは別の意識が
半ば自動的に形成される。
(受動的意識が主になる)

 

 これら2つの現象は似ているようで全く異なるのである。体の特定の部位に「意識を集める(能動)」と「意識がある、または集まる(受動)」とでは体に感じる実感とそこから生まれる言動が全く別のものになるのである。そして後者のケースでその部位が前頭部のチャクラ(第6、第7)、上丹田と呼ばれる部位のケースの一つが副鼻腔理想解放状態と考えられるのである。

 なおこれも大きな誤解なのであるが、頭部のチャクラ(第6、第7)や上丹田が開発されると驚異的記憶力や予知能力などが発現すると言われてきたがそれは誤りであろう。少なくとも副鼻腔理想解放状態ではそうしたことは起こらないと私の経験からは断言できる。そうした超能力の類が存在するかどうかは不確かであるが、もし存在するとすれば、そうした能力は悟りとは別個の能力である。もちろん過去の高僧にそうした能力を発揮した者はいたと言われるのだが、それらの能力の獲得は必ずしも悟り境地の獲得とイコールではないと考えられる。ましてや空中浮遊や物質化などの類は論外でその真偽も含めて別の問題として扱うべきだろう。

 また子供が遊びでやるペンを額や眉間付近に近づけるという類もできうる限り避けたほうがよいのである。副鼻腔が閉塞して神経を圧迫し続ける弱いレベルの副鼻腔スクイーズ(Sinus squeeze)や副鼻腔リバースブロック(Reverse block)が起こる結果、悪い意味で額、眉間、前頭部の違和感や意識が生まれるからである。それが額や眉間付近にペンなど尖った物を近づけると生まれるムズムズした感覚の原因であろう。またそうしたことを続ければ重い鼻性脳神経症候群の状態に移行し心身の不調につながるケースもあるだろう。

 つまり副鼻腔理想解放状態の時に額の内部や前頭部に特有の意識や感覚があることそのものは問題はないがその再現を意図して能動的に意識を集中したり、鼻を必要以上に強くすすったり、眉間にシワを寄せる、眉のあたりに力を入れる、反射的に副鼻腔内に圧をかける、などは最も避けなければならないことの一つなのである。