ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

端緒

(端緒)

 それはいわゆる病気の治療がきっかけであった。当時、30代後半だった私は慢性副鼻腔炎と診断され長期の通院治療を受けていた。ただその治療の効果は決して芳しいものではなく常に体調不良に悩まされていた。鼻や副鼻腔の粘膜に若干の腫れはあるもののレントゲンやCTMRIなどでは大きな異常は見られず、痛みもなかった。にもかかわらず、体調不良は続き社会生活に困難をきたしていた。その状態を言葉で表現するのは極めて難しく、この性質そのものが悟りの境地とも言葉にしにくいという意味では共通しているのだが、あえて言えば痛みは全くないため多少の運動や労働はほとんど問題ないのだが、ただ一方で集中力や頭の冴えを欠き、頭の鈍重感があり、ネガティブな記憶や感情が次々に浮かんでいくという状態であった。それはいわゆる禅病、気功の偏差、ヨガのクンダリーニ症候群として伝えられてきた症状に良く似ていた。また仮に精神科を受診していればうつ病という診断もされたかもしれない。

 いずれにしてもそうした痛覚を伴わない体調不良に苦しんでいたのだが、いくつかのアプローチが功を奏してか改善の兆しを見せることがあった。そしてそれは、改善時の状態は時間的に短く限定的なものではあったが通常、よく言われるような悟りの境地や感覚に似たものであった。そして病状が一進一退を繰り返しながら緩やかに改善をしていく過程で、悟りの境地が副鼻腔やその周辺の脳神経系が関係しているのではないか、と言う考えに至ったのだった。