ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

悟りは言葉では伝えられないとされた理由2 方法論の不十分さ、誤り

(悟りは言葉では伝えられないとされた理由2 方法論の不十分さ、誤り)

 第2の理由は、釈迦が残した情報が悟りを開かせるためには不十分だったことである。それが第1の理由ともあいまって悟りを言葉で伝えることを難しくしたと言える。

 釈迦が残した情報はシンプルではあるが抽象性が高く、具体性に乏しかった部分は否めない。もちろん情報自体が残ったことは好ましいし、その内容も文化的価値があることは確かである。だが多くの挫折者と堕落者、政治的闘争や弾圧による犠牲者という副作用を生み出した現実を見れば釈迦が残した方法が完成されていたとは言えないだろう。釈迦の死後、その教えがまとめられ、その解釈や翻訳作業によって膨大な教典となって派生していくのを見てもそれは伺い知ることができる。もはや同じ仏教という分類ができないような別種のものもあるほどだ。

 

(仏教の歴史)

 宗教の歴史は分裂の歴史でもある。それは仏教であっても変わらない。仏教の場合、仏教の根幹である悟りの概念がかろうじて残りつつも形骸化し、宗教装置だけが分派を繰り返しながら増殖していったものである。それは時に宗派によっては同じ仏教であるとは言い難いほどの差異を見せる。大別して、初期仏教、上座部仏教大乗仏教であり、その中でも教典を重んじる派、密教のように他の宗教や身体修行(インドのヒンドゥー教やヨガ、呪術、道術)の影響を多分に受けつつ変化した派、また禅宗のようにより単純化した身体修行に重点を置く派、念仏に重きを置く派、など実に多様で多彩である。が、同時にその発展は悟りという目標に対しては遠ざかるものであったことも否めない。各派の設立者(教祖や開祖)は多くの場合、教典の輸入者、翻訳者、解釈者というローカライザーであった。もちろん彼らは仏教の教えを普及維持するための偉大な貢献をし、属人的とは言え超人的な能力を持った者もいたのは確かだ。しかしその彼らでさえ悟りの境地に入っていたかどうかとなると実は定かではない。また堕落した既存宗派の改革者の性格を持つ者であってもそれは同様である。むしろそうした開祖が亡くなり長い時を経ると時の政治勢力と妥協を余技なくされ、国家維持や集団統制ための洗脳装置と化すことすらあったし、宗派間で激しい争いを続けてきたことも確かである。そしてより端的に世俗化し自らの生活の維持のためだけに堕落していった集団、個人がある面も否定できない。日本における葬式仏教などはその最たるものであろう。そうした現象は悟りと呼ばれるものとは遠く離れたものでしかない。

 もちろん2500年前の科学技術の水準を考慮すれば、こうした分裂や混乱を引き起こしたことは致し方のないことではあるのかもしれない。それは宗教の宿命でもあるからだ。もちろん変質したものであっても文化の発展、派生という意味ではそれなりの価値や意味は持っている。だが、悟りの探求という意味ではヒントになることはあっても多くは複雑極まる隘路にしかならなかったのも確かであろう。