ウロボロス観測所

主に悟りについて哲学的、社会学的な考察(のバックアップ)

はじめに、ねらい

(はじめに)

 悟り。

 伝統的にはそれはインド哲学やヨガで言うところの第6、第7チャクラや東洋的修行法で言うところの上丹田の開発に該当すると言われてきた。だが筆者は現代科学の文脈に還元して述べればそれは「副鼻腔を中心とした脳神経系の理想的な状態での解放・そして維持から生成される意識・感覚の状態(略して副鼻腔理想解放状態:Condition of Ideal Free Sinus=CoIFS)」であることを知った。

 もちろんこれはあくまで私の仮説である。現代の計測科学のレベルでは帰納法的アプローチでこの仮説を確認することは極めて難しい状況にあり、こうした仮説を公の場に出すことは私個人にとっては批判やそしりを受ける恐れも多く、必ずしもこの身を利するものではないのかもしれない。また私自身の段階もまだ悟りと呼ばれる最初の領域を現代の学問的知見を持ってわずかに垣間見ただけにすぎず覚者にはほど遠い。哲学や社会学という類縁したフィールドに興味は持つものの基本的には凡人そのものである。が、後世のためにこの仮説と論考を残しておくことはそうした個人レベルの話を超越して重要と考えたためにあえて筆を執った。それは釈迦が悟りを伝達することをいったん断念しながらも、後世の悟る可能性がある者のためにあえて教えを始めたのと同様に、である。

 また最後に僅かながらではあるが私がそうした意識・感覚を得た方法を記載しておこうと思う。確率的に考えればそれは読者らの悟りの道を保証するものではなく、同時に現実社会での成功を保証するものでもないことは強調しておかねばなるまい。だが、人類や世界、宇宙全体の大きな流れの一助になると信じて筆を執った次第である。

 

(本書のねらい)

 悟りを研究対象とした場合、もっとも問題となるのがサンプル数の問題であろう。サンプル数が少ない状況での研究は限定的とならざるを得ないからだ。従って、より大きな時間的スケールで言えば、まず同じ時代の中でレベルの高低はあっても悟りの領域に入る人々を増やし十分なサンプル数を確保すること、次にそのサンプル群に対して自然科学(おそらく中心になるのは医学、生理学、脳神経系などの科学だろう)により悟りと呼ばれる現象を解明することが必要で、最後にその成果を社会の人々に還元するという段階を経ることになるだろう。でなければ、散発的に悟りを得た人間がいたとしてもそれは従来どおりの結果(ある時は聖人として、ある時は狂人として、ある時は成功者、ある時は敗北者として、ある時は無名の一般人として)で一生を終え、歴史の中に消えていくことにしかならない。社会の中に客観的な真実として認知されていくには一定以上の再現性がある現象である必要があるからだ。

 本書の目的としてはまずこの第一段階である、物理現象としての悟りの定義、およびそれを発生させる方法の提示、そして既存の悟りに関する言説の論考を行うものである。